syunfamilyの日記

62歳のメタボが気になっている元体育会系おじさんです。 現在、子供4人、孫5人の大家族ですが、単身赴任生活16年目。 定年まで、あと3年。セカンドライフに向かい、日々の仕事&生活の中で「セカンドライフの夢」を探しながら、今までの経験やみなさんにお役に立つ様なブログを書いて行きたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

『 73年前、沖縄戦の遺族からの357通の手紙! 』

今日6月23日は、73年前、沖縄で米国との激しい地上戦で3ヶ月で
20万人以上が犠牲になった沖縄終結の「慰霊の日」です。

今朝のテレビ情報番組で、その沖縄戦で主力部隊となった陸軍保衛部隊
第32連隊の中の第24師団約1000名を率いた24歳の大隊長 
東孝一さんの話が取り上げられていました。

伊東さんの師団は、米国の圧倒的兵力の前に、時には部下を見捨てざるを
えない時もあり、多くの部下の死に向かい合い、9割以上を失いました。

生き残った伊東さんは、1年以上をかけ、生き残った部下を訪ねて、
いつどこで部下達が亡くなったかを調べ、遺族に遺骨代わりの沖縄の砂を
添えて手紙を送りました。

357通の手紙は、その遺族から返信として送られて来たもので、そこには
遺の悲しみや悔しさなどの悲惨な思いが綴られており、中には隊長で
ありながら生き延びた伊東さんに怒りをぶっけるものもあり、伊東さんは
一人で苦しみ続け、一度はこの手紙誰にも見せずに「墓の中に持って行く」と
封印して来ましたが、昨年97歳になる伊東さんは、自分に残された時間の
短さを感じ
「生き残った罪・だからその罪」
「当時の国民の本当の気持ち」
「真実がどこにあるか、それを見破ること」
「戦争の愚かさを知ってもらいたい」と、

この357通の手紙を「戦争の記憶をさがす大学生ボランティア」に託しました。

 

私は、当時戦争を起こした政治家や軍部、そして直属の上官が亡くなった兵士
に対して無責任なのに対し、伊東さんが亡くなった部下の遺族に手紙を送った
ことに驚きと敬意を払うとともに、国が起こした戦争の責任を伊東さんが
一人で背負い続けてた辛さに涙が出ました。

ここ1年間、357通を託された若者達が、返事を書いた遺族や子供達に
面会し、対話をして来ました。その行動力と努力に拍手を送るとともに、
戦争の悲惨さと平和の尊さ不戦の誓いをしっかり受け継ぎ、戦争を知らない世代
に拡げていって欲しいと思います。